[ 聖地巡礼??]セルビア&ボスニアひとり旅~Arsenal Fest参戦@クラグイェバッツpart2[メタルツアーも]
- 2019.08.12
- セルビア&ボスニア旅行記
- Arsenal Fest, Bosnia, Serbia, クラグイェバッツ, セルビア, メタル, 旅行記
クラウイェバッツに来てまる2日。喉の調子がなかなか回復せず、昼間はホテルで休んで、夜からフェスに参戦という感じでぐずぐずやってると、早くも今日は3日目。今日も同じく日中はホテルの部屋で、よく言えば安静に、悪く言えば引きこもってました。。。
↓前回のお話はこちら↓
[ 聖地巡礼??]セルビア&ボスニアひとり旅~Arsenal Fest参戦@クラグイェバッツpart1[メタルツアーも]
フェス前にちょっと街歩き
実は3日目の今日は、またまた(?)現地住まいのガイドさんに(!)少し街の中案内してもらってから一緒にフェスに出かけることになってるので、まずは待ち合わせ場所へ。
メッセージで時間や場所の相談してたのですが、途中ちょっと話がかみ合ってない瞬間があって・・・よくよくやり取りを読み返してると、自分が意味というかニュアンスを取り違えてたかも、という所がありました。英語でのやりとりは”だいたい”大丈夫だけど、まだ細かな部分の詰めが甘いみたい。
↑待ち合わせは市内にある大きなショッピングセンター前にすることになって、ホテルから徒歩で移動します。たぶん1kmもないくらいのところにある、Roda Centerという所へ。
写真は途中の道路上に出てたArsenal Festの旗?横断幕?街のあちこちにこういうのが出てて、特に若い世代にとっては名物のお祭り、みたいな感じなのかもしれません。
↑待ち合わせ場所のショッピングセンター。なかなか巨大です。結局中には入らなかったのですが。。
そしてガイドさんと合流して、街歩きに出かけます。メッセージのやり取りの中で自分が喉駄目にしてるのも伝わってるので、「喉の調子はどうよ?」ってところから。相変わらずだと伝えると、まず薬局に行くことに。
ここでガイドさん、Strepsilsをおごってくれて、非常に感謝。自分でベオグラードで買った分は、もう数粒しか残ってなくて、ウジツェで買った喉スプレーも半分くらい減ってたので、これで延命できそう>< ガイドさん曰く、食べすぎ注意らしいですが、2時間くらい空けるとすぐ喉ツラくなってきて、結局常時爆食い状態でした。。
↑「合流したら、湖に案内するよ」ということだったので、5分くらい歩いて一緒に湖にやって来ました。反射する水面が綺麗。
それからフェス会場方面へ向かいながら、「何のだったか忘れたけど、向こうが工場」とか、「このあたりが街の中心部だよ。もう来た?」「あー、お金下ろしにうろついてる時にこの辺来たよ」とかなんとか。中心部は、ちょっと賑やかだなと思ってたくらいで、実は最初に来た時にはそこが中心部だとは全く気付いてませんでした。。
結局フェス以外ろくに外に出てなかったので、街全体の位置関係とか構造は把握できなかったかも(汗
それからスーパーで飲み物買って(ガイドさんはさっそくビールでした)、会場入り口近くの公園で、ガイドさんの友人たちと一緒にまったり。セルビアのあちこち回ってて・・・という話をしてると、「どこが一番だった?」という質問に当然なり、すかさず「ただし返答には気を付けなよ。冗談だけどw」と。いやはや冗談でもちょっと恐ろしい。。
も、もちろんグラグイェバッツが最高です(震え声 みたいな。。。
と冗談を交えつつ、あとは自分がオンライン英会話取ってるという話題になると、ガイドさんの友人、「じゃあコレ分かる?」とおもむろに、なんだか見覚えのあるマスコットのキーホルダーを取り出します。
「あ!DMM!」という感じでしたが、そのご友人はDMM英会話で講師をしているんだそう。ここでもまた偶然の出会いがありました。フェス会場でも講師やってるという方々に遭遇したりしたので、結構多いのかも。
↓自分はそのDMMで修行して現地であれこれ話すことができました
あとは余談ですが、ガイドさんが買ってくれたチョコバナナのお菓子が甘酸っぱくて美味でした。
↑こういうの。Štark というメーカーのBananicaってお菓子。1個20円くらいで、安くて美味しいので、後で自分もお土産に買って帰りました。
Hladno PIvo
みんなでまったりしてると日も暮れて、ぼちぼち行きますか、という事でフェス会場へ。みんな観たいものバラバラだったので、いったんガイドさんと分かれ、自分はメインステージへ向かいます。
↑3日目に最初に見たのはクロアチアのベテランパンクHladno Pivo。自分はパンク方面はカバーできていないので、ほとんど予備知識もないのですが、かなり大人気みたいで、メチャ人多かった。もしかするとTestamentの時より人多かったかも・・・と思うと、セルビアでもメタルよりこういうパンクの方がメジャーなのかも。
そういえば実際、英会話講師達も数人お気に入りに挙げてましたね。
↑音楽はバンド名のHladno Pivo=直訳で冷えたビール(でいいはず)の通り、飲みながら聴いて踊るのにぴったりの、ノリノのリメロディやパーティ感が満載のパンク。
↑途中どこからともなく黒い巨大なボールが現れ客席の上を跳ねまわります。なんか楽しそう。残念ながら自分のいる所までは飛んできませんでしたが。
Red Fang
↑続いては、Garden Stageに移動してUSのストーナーメタルのRed Fang。恥ずかしながらこのバンドは全く無知で、このフェスに出るというので調べて初めて知りました。
なので、事前にちょっとYoouTubeで聴いたくらいで、曲についてあれこれ語ることはできないのですが・・・それでも音圧が凄かった。曲をほとんど知らないので、ライブ的に凄いのかはよく分からないのですが、終始低音効きまくった爆音がドゴオオオオってな具合で、非常に強烈。
↑爆音に包まれた1時間強。彼らにとってもセルビアは初めてっぽくて、お世辞かは分かりませんがMCでは「セルビアのみんなスゲーよ!」とか言ってた気がします。
↑Red Fangの後に見に行った、セルビアのレゲエメタル?のEyesburn。これは全く期待せず、一応見に行ってみようかとメインステージまで来たはいいものの、個人的にユルすぎて駄目で、2曲くらい見たところで終了。レゲエっぽいあのノリって駄目なんです自分。
その後はガイドさんと再び合流してまったりした後、テキトーに撤収。また明日ねー。ということで3日目はこれでホテルの部屋に戻りました。
ついにフェス最終日
↑さて、フェス最終日のお話もいきなり会場付近からスタート。喉と咳は全然治りそうな気配もないし、やっぱり日中はずっとホテルの部屋でおとなしくしてました。
ラッキーだったのは、ホテルのテレビが衛星放送か何かとつながってて、たまたまF1の予選中継が観れた事。英語音声ではなかったので、何言ってるか分かりませんが、ちょうどフランスGPということで、同じタイムゾーンで中継観れるなんて貴重な体験でした。
↑そういえば会場前の橋、右側に大きく1389の数字と,左側には1804の数字。なんとなく見覚えがある数字で確認したところ、両方とも恐らく年号で、1389年はセルビア軍がオスマン帝国に敗北したコソヴォの戦いを、1804年はオスマン帝国に対する武装蜂起があった年で、これをきっかけにオスマン帝国から自治を勝ち取った、という事を表してると思われます。
つまり、オスマン帝国の支配の始まりと終わりを表してる、ということになるのかな。。
余談ですが、1804年の武装蜂起の中心となった人物の名をカラジョルジェ・ペトロヴィッチ (Karađorđe Petrović) というそうで、そのカラジョルジェ家の名は、セルビア料理のカラジョルジェヴァ・シュニツラに冠されてますね。
↓ベオグラードで食べたカラジョルジェヴァ・シュニツラはこの記事で紹介してます
[ 聖地巡礼??]セルビア&ボスニアひとり旅~ベオグラード到着編part2[メタルツアーも]
Ritam Nereda
↑余談が長くなりましたが、ライブです。まずはメインステージへ。この日最初に観たのはセルビアのRitam Neredaという・・・正統派メタルのような、メタリックな音のパンクというか、なバンド。本当は2日目の出番だったのが雨の影響で最終日の登場に変更されてました。
↑うーん、音楽的に、というか好み的には普通?
Partibrejkers
↑続いてメインステージで、ベオグラード出身のPartibrejkers。なんでも、ユーゴスラヴィア・ロック界の重鎮だそうです。
↑エクストリームメタルが主食の自分なので・・・スタイル的にはちょっと物足りないのは事実ですが、ただきっと、さっきのRitam NeredaといいこのPartibrejkersといい、セルビアの、というかユーゴスラヴィアのロック音楽を知るという点ではとても有意義なんだと思います。そしてそれこそが、現地までやってきた醍醐味。約90分フルセットの豪華な?ライブでした。
それにしても、思えば初日はまさに”メタルデー”なラインナップだったんだなぁと。
ちょっとKurt Vileとラキア
↑Partibrejkersのあとは、続けてメインステージで、Kurt Vile and The Violators。何者か全く知らないのですが。おしゃれ系オルタナロック、という風に見えました。違ってたらスミマセン。フロントマン氏が絵に描いた様なイケメン。
ただ残念ながらそろそろ疲れてきたので、途中退場しました(涙
その後は休憩して、ガイドさんと合流。一緒にGarden Stageでライブ観ることにしましたが、混みまくってて、ステージ全く見えない。結局誰が演ってたのかも分からない始末。セルビアの皆さん背が高いので、囲まれるともう何にも見えない。。。
そして時刻は深夜1時ごろ。ガイドさんとその友人たちと、DJステージ付近でまったり。そこで歓迎のラキヤを(!!)頂きましたが、やっぱり恐ろしく強烈。普通に皆ラキヤをちびちびやってるみたいでしたが・・・。
ただラキヤで喉痛いのが一瞬すっきりするのが新しい発見。ラキヤは消毒にも使ったりするらしいので、その効果なのかも。自分は味見程度にしか飲めないですが、がっつり喉に流し込めば、この喉の荒れも吹き飛んだのかも知れませんね。
あとはみんなであれこれ話してましたが、お互い母国語じゃないせいなのか、あるいは酔っぱらってるせいなのか、会話が若干かみ合ってないような・・・。なんとも不思議な体験。
フェスのシメはセルビアの大御所で(たぶん)大人気のパンク、Goblini。・・・のつもりだったのですが、開始までまだ時間があるのと、そろそろ体力が限界近くなって、断念。喉痛めてるせいで咳が酷くて、全身ダルイ。。苦渋の決断。
ガイドさんに「ゴメンよ~、Goblini超見たいけど、ちょっと限界かも。ツライ決断だけど、今日は帰るね」とかなんとか伝えて部屋へ帰ります。「んじゃまた連絡するねー」とガイドさん。あぁ自分がもっと屈強な人間でないことを呪います><
最後にグラグイェバッツの街歩き
4日間のフェスをエンジョイして、今日はクラウイェバッツ最終日。今日は午後からバスでベオグラードに戻りますが、午前中はガイドさんと一緒に少し街歩きをすることに。
とりあえずホテルをチェックアウトして、待ち合わせ場所に向かいます。
↑待ち合わせ場所はPeronというカフェ。中心街付近にあって、列車を改装した店舗がおしゃれ。
↑ガイドさんと合流して、街歩きスタート。昨日自分は途中離脱になってしまいまいましたが、「昨日何時までいたの?」とガイドさんに尋ねると、「確か朝5時くらいまでだったかなぁ」みたいな返事。
今は10時過ぎなので、「なんかあんまり寝てなさそうッスね」と聞くと「うん、たぶん3時間くらい?」みたいな返事。早くから自分のために時間取ってくれて感謝。
↑市内をいろいろ案内してもらいながら歩きます。結構道に勾配がある印象。
途中、ガイドさん「朝食取った?」、自分「いやまだっス」ということで、オススメのバーガー屋さんに寄ることに。ですがちょうど今日は日曜で、オススメのお店がどこも休み。。何とか営業中のГрил Мотта(Grill Mottaでいいはず)というお店へ。
↑頼んだのはハンバーガー。セルビアはやっぱり何食べてもおいしい。パンは香ばしくて、挟まってる肉の味付けも、なんというか旨味が絶妙で、食べだすと止まらなくなる感じ。
↑テーブルの上にはこんな調味料が。「もしかして左のがヴェゲタ?と右のはパプリカかな?」とガイドさんに聞くと、「そうそう!」って。生ヴェゲタ初めて見ました。
ちょっと面白かったのは、ガイドさんがレジでお店の人と話すときに、英語使ってしまったらしく「今レジでメチャ英語で話してしまった(テヘペロ><」って。地元だからセルビア語でいいのに、自分とは英語だから、ごっちゃになったらしいのですが・・・確かに、そういうスイッチの切り替えって結構あるかも。
記念公園へ
セルビアバーガーでお腹一杯になったらあとは、ガイドさんの家にバックパック置かせてもらって、もう一度散策に出かけます。
↑ガイドさんによると、クラグイェバッツ市内は歩きでも全然回れるくらいのコンパクトな街ということです。実際その通りでしばらく歩くと、市街地を抜けて、こんなのどかな風景が。
↑そして到着したのが、看板の・・・”10月21日ミュージアム”。なんでも、第2次大戦中に、ナチスによる虐殺が1941年10月19日から10月21日に起こったらしく、その記念ミュージアムなんだそう。
↑ミュージアムのそばにはこんなモニュメントが。
↑時間がなくてミュージアム内には入れませんでしたが、入り口にはこんな慰霊碑?も。
↑ミュージアムの周りには、広大な公園が隣接してて、その案内図。ガイドさんが少し翻訳してくれようとしてましたが、すぐに「って思いっきり英語表記もあるやん」って自分でボケてくれてたのがウケました。公園名を英語にすると、”クラグイェバッツの10月”記念公園とかそんな感じでしょうか。
↑で見たマップでは、公園内に点在するモニュメントに番号がふってあって、順番に見て回ることにします。が気温はそうでもなく、風が吹くとまぁまぁ涼しいのですが、太陽が暑い。距離も結構離れててなかなか大変。
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↑空は快晴。美しい初夏です。途中ガイドさんがプラムの木を見つけて、「これ食べれるよ!」って2つほど採ってくれました。甘酸っぱい野生の味。自然に実ってるもの採って食べるなんて何十年ぶりでしょうか。
↑セルビア語分からないのが残念ですが、きっと慰霊碑でしょう。かろうじて、1941年10月の・・・というのだけ分かるという程度。
↑他にも慰霊碑やモニュメントがたくさん。
↑この記念公園のハイライトのひとつと言っても良さそうな、巨大なモニュメント。ネットで調べると、”Interrupted Flight” monument、とあります。命を奪われた学生たちに向けられたモニュメントだと、ガイドさんが説明してくれた気がしますが、飛び立つことのできなかった魂たち、という表現でしょうか。
↑よく見ると、モニュメント表面のでこぼことした部分は、人の上半身をかたどられていることが分かります。そう思うと、なんだか胸が締め付けられるような。
↑ガイドさん「コレいちばんアナタっぽいんじゃない?」と冗談を言ってくれたモニュメント。付近に解説が見当たらなくて詳細は不明でした。
↑そしてやっと日陰です。ガイドさんはこの奥に水を汲みに行ってました。
↑なんとも美しい森の木漏れ日。なのですが、実はこのあたり水の腐ったようなにおいが立ち込めていて、ガイドさんと2人して「くせぇ」って。
↑これは何だったかな・・・。奥の方へ進んでくると、結構草も伸び放題になってきて、なんだかちょっと忘れ去られたモニュメントみたいになってました。
この後は、ちょっと迷いながら森の中を歩いたりしてから、戻ります。ちょうどバスの時間も迫ってきて、ガイドさんが手配してくれたタクシーで、バスターミナルまで向かいます。
出来る限りお礼を伝えて、ほんの気持ちですが、日本から持ってきてたうまい棒を一袋、お礼に渡しておきました。本当に、おかげさまで楽しい街歩きになりました。
↑帰国後ガイドさんから、「もらったお菓子友達みんなと食べたよー。美味しかった」とメッセージが。日本のチープなお菓子とだけしか説明せずお渡ししてたので、ヒントなしで食べるのはちょっと冒険だったんではないかと想像しますが、楽しんでもらえたみたいで良かった。
↑クラウイェバッツ発のバス時刻表。自分は14:00のバスに乗り込みます。時間結構ギリギリで、あわてて乗り場に向かいます。クラグイェバッツではちょっと乗り込むまでの手順が違ってて、カウンターで入場券を買って、バス内で料金を払うという方式でした。
乗り込もうとすると、「もう満員だよ」と誰かに声かけられましたが、「あんた係員でも何でもないじゃんよ」と思った直後、乗務員さんが「大丈夫。席空いてるから」と。時間ギリギリだったので、乗れれば何でもよかったのですが、とりあえすこれで無事ベオグラードに戻ることができます。
ということで、楽しいクラグイェバッツでの約4日間もあっという間に過ぎ、もう1日ベオグラードで過ごした後は、日本に帰らねばなりません。次回はその、ベオグラード最終日のお話です。
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